『クラシックを聴くんです。』
僕は池田住宅建設で主に施工図面を描く仕事をしています。
「趣味は?」と聞かれると、一応「クラシックを聴くことです。」と答えます。
『クラシック聴くんです。』というと『ほお高尚ですなあ!』とよく言われます。
僕自身にとってはより実務的というか、ある種の修行というと大袈裟かなあ。
特に好きではない曲でも、興味のある指揮者が振るのならその演奏会に照準をあわせてCD聴いたり、スコア買ったり、本を読んだり。
だから日程が迫ってくると、同じ曲を違った指揮者、オーケストラの組合わせで5、6枚と繰り返し聴いて飽きてしまったり。
通勤中、バスの車内でも頭の中で『英雄の生涯』が大音量で鳴り続け、ウトウトとしたとき不意に『今、鼻歌うたった?』と自問することも・・・
じゃあ何をしに演奏会に行くのかといえば、たぶん雰囲気を聴きに行くのだろうと思います。
譜面どおりの演奏をするのだけれど、逆に音符をなぞるだけなら100年も200年も前の曲を今、そこで演奏する意味ってあまり無いような気がします。
全体の展開はわかってる。盛り上がる箇所もわかってる。
だからこそ指揮者の解釈を聴くことができると思うんです。
例えばベートーヴェンの交響曲第5番。『運命』が戸を叩くっていうあれです。
冒頭部分のフレーズを想像してみてください。
「ジャジャジャジャーン」か
「だだだだーん」か
「ウン パ・パ・パーンッ」、「タッタカタン」
でしょうか。
非常に有名な曲でも2、3人が口にしたり文字にしてみると改めて表現の違いに気付きます。
演奏家の解釈とはこういう作業ではないかと思うんです。
楽譜はあくまで型枠とかスポンジみたいなヴォイド(隙間)を持つ構造で、その隙間に解釈が染み込ませる。
だから同じ演奏はないし、オーケストラとの相性やホールの残響によっても印象がガラッと変わります。
当然、演奏時間までも・・・
作曲家の書いた音符を指揮者が解釈し聴衆に伝えます。
作曲家と演奏家、聴衆をつなぐ楽譜は、
施主、営業、設計、現場で共有される図面に少し似ているような気がします。
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2006年03月29日 18:47