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建売住宅を探し始めましたが、日に日に価格が・・・

前回から始まった私の考える“終の棲家論”ですが、早速、色んなご意見を頂きました。
30代で家づくり計画中の奥さんは、「家づくりって、今のことだけ考えたらダメなんですね〜」とか、私と同じ40 代の方は「うちも、もうすぐ子供達が独立します」など。

そして少し先輩、50代の女性は正に現在模索中のご様子で、「今の家を住みやすくするか、市街地駅近マンションかしらね−?」などなど・・・。

終の棲家”については、年齢を積み重ねた人も若い人も、男性も女性も、結婚してる人も独身の人も、みんな、人生の何処かで考えないといけない問題だから、反応してくださったんだなと改めて感じました。

さて、私は生まれも育ちも尼崎で、実家は工務店をしていました。ですから、倉庫や作業場、事務所部分を優先した店舗付き住宅に住んでいました。家業が工務店ですので、子供の成長に合わせて時々に手を入れていたので、暮らしやすい家で育ちました。只、子供って無い物ねだりなところがあり、事務所兼自宅ではなく“ごく普通の家”に憧れたりもしました。

一方、夫は転勤族の父を持ち神戸→尾鷲→奈良→神戸→大阪と引越し、大阪市内で購入した40年以上前にすでに“築30 年”という家で育ち、数年前まで義母が1人で暮らしていました。

2人とも便利なところで大きくなり、結婚後も伊丹の社宅、西宮の借り上げ社宅(マンション)、尼崎の借り上げ社宅(阪急武庫之荘駅に近い古いけどゆったりした平屋でした)と、便利なところで暮らしてきました。

そんな私達が家探しを始めたのが、昭和の終わり、ちょうどバブルの頃でした。あの頃は自分達が注文住宅を建てられるなんて夢にも思いませんでしたので、毎週、週末に入るチラシで建売住宅を必死になって探したのを思い出します。

私達が家探しを・・・と書きましたが、正確には“私が”になります。夫は正直、そんなに「家を持ちたい!!」とは思ってなかったようです。社宅に恵まれていたのが一番の理由ですが、やはり“住宅ローン”という「大きな借金を抱えたくない!!」というのも大きかったようです。

余談ですが、夫の父は借金が嫌いで貯金をして、現金で家を買ったそうです。昔の事とは言え、そんな家庭で育った夫と「借金は有って当たり前」という商売人の家で育った私とは、その辺にも温度差がありました。チラシを見て夢を膨らませる私と、その話を避けたい夫とよく喧嘩になったものです。

さて、住み慣れた阪神間で建売住宅を探し始めましたが、何せ、バブルの頃です。日に日に価格が・・・。

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