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『年末ミャンマーに行きました。』

木場木場
大掃除さぼってすみません。羽田発のANA 深夜便で早朝バンコク到着。乗継3時間。空港内の無料wifi はいくつかある専用カウンターで名前を記入して、パスワード( 時間制限あり) の書かれた用紙もらって接続します。

バンコク・エアに乗り、ヤンゴン到着が定刻から少し早く9時半過ぎ。ターミナルは欧米からの旅行者で混雑していました。通過するのに4,50分かかりました。( 並んでいるのかいないのか列があるのかないのかの攻防はとても消耗します)

市内へはタクシーで9米ドル。『非常口』と書かれた路線バス、○○水産とか、『成田山不動尊』、とか日本からの中古車がそのまま走っていてあまりに多くてきりがないので写真を撮るのはやめました。

ヤンゴンでは都合5泊しました。暗くなると19番通りの飲み屋さん( プラスチックの椅子とテーブルを並べただけ) に行きました。

お父さん( 杉本哲太さん似) がミニコロッケとか焼き魚とかなにかしら出してくれて息子さん( 芸人さんの西野さん?男っぽい感じ、タフでまっすぐなあれなら誰からも好かれると思う) も葉巻をくれたり、日本語の読み( ミャンマー語) の載った辞書をロンジンの腰に忍ばせて、暇があれば、なんでもない単語とか話とか何やかやと世話を焼いてくれました。

ミャンマービールの中瓶(670ml) が1500チャット(≒150円) でした。タイガービールが1250チャット。ロンジンを穿いてキャップをかぶったお母さんは森山中の大島さん、お姉さんは小林綾子さんみたいな感じの人でした。常連さんに混じって毎日そこで飲みました。

ビール以外のものは1回も注文していないのにまわりの人がなんやと分けてくれて色んなものを食べました。葉巻もなぜか毎回手元に。これは煙草とは、シガレットとは違うんだよ、ってみんな口を揃えて言っていました。 金柑を気持大きくしたくらいのみかんも食べました。構造はみかんのまま、なので指先で皮を剥くことになります。

何日目かに( それぞれ顔見知りではない)2人と同じテーブルになって飲んでそろそろお開き、タクシー
止めて、それじゃあと乗り込むと、一人がすかさず乗って来てまあ同じ方向なのだろうなあとしばらく、ホテルが見えてくるとぎゅっと手を握られて、あほか違うやろ!とさっと手を離すと顔はよう見なかったけど空気がしょぼんとなりました。

ドアを開けて振り返らずにそそくさ降りました。部屋に入ってしばらく、ノックの音でまさかと小窓をのぞくと、別の一人が立っていた。別の車で追って来たらしい、ということがありました。

ある日のこと。ヤンゴン中央駅から少し離れた、バラックの並ぶ一角でフィッシュカレー(500チャット) を食べました、やめとけば良いのに。ハエなんかあたりまえ、それになんか匂う。もしかしたら相席の向かいのおじさん?うまく咀嚼できないみたいで久しぶりの食事だったりするのでしょうか?

ふんだんに供された香草かもしれない。ふた皿( 標準) 出された米のひと皿その半分がぎりぎりでした。今まで食べたもののなかでは『もの食う人びと』に一番近いものでした。不意に嗚咽というか、こみ上げて来るのをコントロールしなければなりません。

そりゃあ全然あんなものではないのだろうけど。とはいえなんとか格好を付けて出ないと申し訳ない。別皿で出された付け合せの胡瓜だけでも、とスプーンでカットしたのを口に運んで、黙々と。

左うしろの机、既に食事の済んでいた家族連れから声をかけられました。それ好きなん?みたいにたぶん言われたあと、お兄ちゃんが店の人になにやら言いました。

よしあと一切れというタイミングで、胡瓜のおかわりが届けられました。丁重にお断りして満腹満腹の仕草とともにお礼を言って店を出ました。

ヤンゴンからバガンに移動する前日、いい加減サンダルを買わなければなりません。神社や寺院、仏塔など宗教施設に入る際には、裸足になる必要があるからです。そのたび靴と靴下の着脱は面倒ですしどろどろになります。( ヤンゴンでは、一度、大晦日シュエダゴン・パゴダに行きました)

通りに広げられた中からミャンマーサンダル購入。売り子のおばあさんは6500って言ったのでちょっと高い気がしたのですが、よくよく聞くと、3500チャットでした。イギリス英語とかそういうことなのかどうかわかりませんが、“6”と“3”が入れ替わって聞こえて、チキンビリヤニ(1900チャット)+レモンジュース(700チャット) の清算のときも、2300と言われてお札を出したら違う違う明細見せてもらったら、2600だった、ということがありました。

ヤンゴン→バガンは夜行列車で移動。1泊分の節約です。欧米人も何組か見かけて、英国人カップル、男性のお兄さんは東京にいると言っていました。日本の総合電機音楽メーカー( シャープでもパナソニックでもない) で通訳をしていると言っていました。

トイレに行ってるあいだにホーム変更のアナウンスがあったらしく、売店のお姉さんが教えてくれました。車掌さんは海江田さん( 似)。16時15分頃のろのろ動き出しました。前日に窓口で予約した2等車は40米ドル。

向かい合わせの2席が、両サイド(JRの新快速とか阪急電車の特急みたいな椅子の向き) に配され、上部にはベッドがあります。

同室は、父、母、息子(4歳位? ) だけでした。( 途中、みかんを貰いました) こちら側は一人だったので、引き出してフルフラットにして眠ることが出来ました。トイレに入ると鉄製の便器の形、底に穴が開いていて筒抜け線路が見えます。ダイレクトに落ちるやつでした。

車体は噂どおりに休みなく軽快に跳ねるように揺れました。一家は、夜が明ける頃、途中の駅で降りました。お父さんに肩をとんとんされて、到着したのかとあわてて座席を畳んでいたのできちんとお礼が言えませんでした。

途中、窓越し線路からミニゆで玉子( うずら) を買いました。お父さんと入れ替わりに乗ってきた人( 野口健さん似) が、菓子パンをくれたので、うずらの玉子をひと袋お返ししました。

そろそろ明るくなってなんにもない風景を見てると、たとえばこういうところにおける戦争。見わたしても敵がみえないとか、向こうの方に微かに敵の影がみえたときには、興奮物質が一気に全身を駆け巡るものなのだろうかとか、わりに冷静、やおら準備をはじめるものだろうかとか。

乾燥したこういう土地がほんとに必要なのだろうかとか一体これはなにをしていることになるのだろうとか非国民とか、ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』とか村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』におけるノモンハンでの件を思ったりなんかするうち、10時過ぎバガン到着。

客引きしていた綾野剛さん( 似) の車( 日産の良く言えばクラシックカー) に乗って、市内に向かいホテルを探してまわって、1泊目は25米ドル、wifi なしの部屋にしました。バガンでは3泊しました。バガンはとても大事なところになりました。

バガンからマンダレーへはバス(7500チャット) でトイレ休憩1回、思ったより早く13時まえにマンダレー・バスステーション到着。バイクタクシーで市内に向かい、そのまま紹介されたホテルに決めました。

20米ドル( トイレ・シャワー・朝食・wifi 付・チャット支払可) でした。夕食は韓国人ビジネスマンとわいわい飲んで、ごちそうになり、カラオケともう一軒、連れて行ってもらったのにあんまり覚えていません。

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