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お盆休み。

木場木場

お盆の休みは仕事おわりに伊丹空港に行き、ビールだけ頂き、そそくさ搭乗口へ向かいました。
長崎空港へは少し遅れて20時40分すぎ到着。空港バスに飛び乗りました。
バス亭をおりて、20分かもう少し歩くと、カトリックセンター長崎が見えてきました。

共有スペースで発泡酒を飲んでるときに、韓国から交換留学で東京に住んでいるという高校生がいました。翌日、同じ時間のフェリーで五島列島・福江島に向かうとのこと。
今さら断れず時間を決めて一緒に行くことになりました。

翌朝、長崎は記録的な豪雨。
お土産の手さげ袋も濡れてべろんべろん。持ち手も外れて包装紙も破れてしまいました。
路面電車で松山町→大波止、歩いて長崎港に着くころには、靴下もびちょびちょでした。

キャンセル待ちの列を抜けて乗り込むと船内はいっぱい。
(先発のジェットフォイルが天候不良により欠航してました)
トイレまえの廊下になんとかスペースを見つけて、
乗務員のお姉さんにたずねると、ゴザを持ってきてくださいました。

座り込んで韓国の人となんやかやと話( はなし) しました。
(※あっ!その人は日本語ぺらぺらでした.
出港後、30分もすると、トイレに駆け込む人が増えました。中はいっぱいらしく何人も並んでいます。

お父さんに背負われて泣いていた3歳4歳くらいの女の子が、
しばらくするとぐったりした感じになりました。
そのまま、若いお父さんの背中に吐いてしまい、お父さんが自分のシャツを脱いで拭っています。
タオルがかばんにあるから、貸しても良いだろうか?
と韓国人が言い、ピンクのタオルをお父さんのとこに持って行きました。

女の子にしてみたら、状況をまだ言葉にできず(自分に対しても)説明とか納得とか、
出来ないんじゃないかなあ先がみえない感じで、時計とか時間の区切りとかわからないだろうから、
これがいつまでつづくかとか、なんかようわからんけど気持ち悪いのがとんでもなくしんどいだろうなあ。
難民船(直近だとロヒンギャの人たち)とかアウシュヴィッツとか漠然と戦争とかを思いました。

そうこうするうち、あれっ?昨日のお酒のせいにしていたけれど、どうも他人事ではない感じ。
でもまあまだ大丈夫。念のためにと余裕で立ち上がったつもりが思いのほかふらふらして、
いやな予感、むかむかしてきました。

トイレ内、5つ6つある個室は閉まりっぱなし、床まで汚れて小便器も詰まって、傍に座り込む人たち。
体育座りで放心した人。自分の一歩一歩が怪しいので大袈裟に跨いで、
まだ流れそうな洗面台のまえにたどり着きました。

昨夜たべた、おにぎりはたぶんとっくに消化済み、出るものはないはずなのになんか出すつもりらしく。
(跳ねっ返りが怖いので)必要最小限、洗面台に顔寄せると、出てきたのは綺麗。
鮮やかな黄色、あんな綺麗な色見たことない、くらいのほんとに綺麗な黄でした。
あとから調べたら胆汁(?)らしいです。3時間ちょっとで、5回6回出しました。

座る、寝ころぶ、立っとくで迷いましたが結局、壁にもたれて立っとくことにしました。

ごつい顔と身体のお父さんが、脂汗をかいて何回もトイレに通うようになり、
一度は「ぅうっ、うえっ、ぅうえっ、ぅうェ〜ッ〜」と加藤茶さんみたいになった振り向きざま。
堪え切れずちょっとだけ噴き出したのが90度分くらい遠心力でぴちゃっと床に散らばりました。
危うく引っ掛けられるとこでした。

ただえらいもんで、匂いも含めて見慣れたからか、
疲れてきっていたせいか集団心理、連帯意識とかそんなのかわかりませんが、
汚いとか嫌悪とか、危なっ!何してくれてんねん!みたいな気持ちは全然ありませんでした。

福江港にようやく到着、さっきの韓国人のピンクのタオルは戻ってこなくて、
でもそれやったらお父さん、船を降りるときに(お互い5mも離れてない位置にずっといたのだから)
最後、もう一回ありがとうとかすみませんくらい言ったって良いのになあ、気(きい)つけようと思いました。

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