“脱”ものぐさ
前回、時代や思い出を共有できる友人を順に失った義母がとても寂しそうだったと書きました。
時代を共有するということは、「同じ言葉が話せる」ということじゃないかと最近よく思います。
うちの事務所では私が最年長で40代後半。先月入社した藤田さんは私の娘と1才違いです。藤田さんまでいかなくても、他のスタッフも30代前半が多く、私が何気なく発する単語に彼らの顔が「???」となることはよくあります。
もちろん彼らの発する単語に私が「???」となることも多々あります。ジェネレーションギャップです。会話って、テンポ良くキャッチボール出来ると弾みますが、そこで、お互いに言葉の説明をしていると何を話したかったのか忘れてしまいますよね。
事務所内では、建築に関する共通語がありますから特に問題はありませんが、他愛ない話をするプライベートな時間では、「言葉が通じる」はとても大きく、家に帰って夫や友人と話すと、やはりホッとします。
長くなった老後を豊かに暮らすためには、そんな言葉の通じる友人がいる事はとても大事なようで、それが近くにいてくれればもっとうれしいです。それを考えると地域との関わりは大きなポイントになりそうです。
ご近所に住むリタイア世代の方々も、活き活きしてらっしゃる方ほど、ボランティアやサークル活動などに積極的に関わっていらっしゃるように見えます。でも私、結構これが苦手なんです。
子育て中は子供を通してのつながりが有りました。でもそれを卒業して働いている今は、世の中のお父さん方と一緒で会社と家の往復ばかり、休みの日もたまった家事を片付けたり、遊びに出かけてしまい、ご近所の方と触れ合う機会がありません。
いえ、むしろ時間が無いのを言い訳に、面倒と避けているところが有ります。でもこのままでは、仕事を辞めて地域へ戻った時、話をする人がいなくなってしまいそうです。
この文章を書くようになって、周りのリタイア世代の方、もっと上の方など人生の先輩を注意深く観察させていただくようになりました。
今、お打合せをしているSさんは私の母親世代。とても活動的で、いろんな所にどんどん出かけていらっしゃるようですし、いつも綺麗におしゃれを楽しんでいらっしゃいます。とてもステキな方です。
このSさんにお会いすると、若い私の方が元気を頂いてしまいます。面倒臭がりな私など、とてもあんな年の重ね方は出来そうにありません。まずは、“脱”ものぐさで、少し面倒な事と向き合おうと思ったりしています。