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現実の大きさ

横山横山
 5月のゴールデンウィークの次の週、姑が亡くなりました。享年98 歳ですから大往生と言って良いかと思います。

母は、認知症が進み10 年前から施設でお世話になっていましたが、ここ数年は入院・退院を繰り返しており、3 月半ばに入院し、一度は食べられる状態に回復しましたが、結局その後は意識の朦朧とした状態で、1 日1 本の点滴で最期を迎えました。

毎週水曜日の休みに会いに行く度、小さくなっていく母を見ていましたので、亡くなった時、もちろん悲し
くは有るんですが、正直、「楽になったね。」と思いました。

 さて、兄弟の内、横山姓で男は一人という事で夫が喪主になります。葬儀は、生前、まだ認知症が進む前の母の意志、子供達皆の意見で子や孫といった直系親族だけで行う家族葬と決まっていました。

年齢も年齢なので、母の葬儀については色々と相談しており、わが家で、子供・孫達が集まって母の写真を見、母の好きな音楽を聞きながら思い出を語ったりして夜伽・葬儀をし送り出したいと思っていました。

夫は母の好きな曲の入ったCD をネットで購入し、私は嫁入り道具として持ってきて以来数度しか見た事の無い座蒲団に風を通し、娘はおばあちゃんの写真をテレビでスライドショーに出来るよう写真をデータ化したりとそれなりに用意を進めていました。

ですが、結局、葬儀会館をお借りして通夜・葬儀をしました。

葬儀は、わが家の1 階リビングと隣り合った和室8 畳間で行うつもりでした。和室に入りきらない人はリビングに座って・・・などと考えていたのですが、葬儀屋さんにご相談すると、遺体を納めた棺桶を安置し、その前にお坊さん、そして私達が座る・・・と座る場所がほとんど無い事に気が付きました。

棺桶は思いの他、大きいのです。人ひとりを納めるのですから、冷静に考えればすぐに分かる事です。でも、私の中でそれは、すっぽり抜け落ちていたのです。

 似た事がお客様とのお打ち合わせでよくあります。お客さんはこの部屋にこのソファーを置いて、このテレビと、ダイニングテーブルは大きな物に買い替える予定・・・と絵に描いてこられますが・・・

「待って下さい、この部屋の中には入りませんよ。」と思うのですが、“この部屋に入れたい。”という希望が、現実の大きさを見えなくすると言うか、見ない事にすると言うか・・・。

この時の私が全く同じでとつくづく反省です。“わが家でしたい”希望が現実を忘れさせていました。
冷蔵庫や洗濯機、キッチンの大きさがこのスペースでどの位の割合を占めるか? は分かるのに・・・です。

実際、現在の家づくりの中で棺桶のサイズを念頭に置く事はまず無いと思います。ですが、和室の続き間に広縁という昔ながらの間取りは、“家で葬儀をする”(きっと葬儀だけでなく、結婚式など冠婚葬祭全般)というサイズ感が反映された物だったんだな、と今回改めて気付かされました。

 葬儀会館をお借りした家族葬は、温かな雰囲気でゆったりとし、集まった子供・孫・ひ孫皆とても満足のいくものでした。そして先週、四十九日の法要をわが家で無事済ませました。夫のCD も娘のスライドショーも、私の座蒲団も一応役に立ちました。

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