池田住宅建設TOP > 池田住宅建設スタッフのブログ > よく言われるんですけど、ほんまにしゃべられへんのです。ほんまにって言ったっ てまああれですけど、でも酔っ払ってるからこそのあれなんです、酔拳なんです。

よく言われるんですけど、ほんまにしゃべられへんのです。ほんまにって言ったっ てまああれですけど、でも酔っ払ってるからこそのあれなんです、酔拳なんです。

木場木場

先日のこと。
もともとはウィーンで演奏会2 回聴いてからベルリン、という計画だったのですが、ウィーンでの演奏会は指揮者の体調不良で延期となり、急遽プラハで目ぼしい演奏会を見つけて計画変更、そっちに行くことにしました。

羽田発の深夜便で早朝のフランクフルトに到着。中央駅からFLIX( 格安) バスに乗りました。遅れに遅れて9時間半。

バスセンターから少し離れたホステルに到着。劇場のホームページを開くと、その歌曲リサイタルもピアニスト( 内田光子さんでした) の 体調不良でキャンセルでした。

さあどうしようかごそごそしてるとも部屋に戻ってきた同室のクラウディアさんが瓶ビールを勧めてくれて飲みました。レトルトみそ汁と『伊右衛門』茶袋をいくつかお返し( クラウディアさんは早速試食) して、良かったらどうですか?と『黄金の虎』に向かいました。

大笑いしながら3杯ずつ飲んだあと、カレル橋を眺めるオープンテラスでたぶん2杯、ホステル下でケバブとビールを買って、廊下ですこし話しました。いつも思いますが、どうやって喋ってるのか間( まあ) がもってるのか自分でもほんまにわかりません。

2日目、早く目が覚めて廊下に出て、パソコンで写真整理などして部屋に戻ると、クラウディアさんが荷造りをしています。夕方、プラハを出てパリ経由でメキシコに戻るとのこと。ぶらぶら散歩に出て昼過ぎ、瓶ビール2本買って部屋に戻ると、クラウディアさんは出たあと。丸玉チョコレートが置いてありました。ちなみに、クラウディアさんはサイコロジストだと言っていました。

ロッカーの片付けみたいなことをだらだらやってると、男女5、6人の若者グループがさらっとやってきました。なんかさわやかさにやられて申し訳なくて退出。そこらをぶらぶらしてから頃合を見計らって『黄金の虎』に行き、さあ6杯目、という頃、テーブルの5,6人の若者グループからこっちこっちと手招きされて、ほいほい隣に腰掛けました。

鶏もも肉のソテーみたいなのを薦められて、これは日本人にとっての「寿司」みたいなものなんだよ、と言われました。この人たちは日本人にとっての「寿司」ってどんなものやと思ってるんやろう?というかもう何年もそんなん食べたことないし、「おにぎり」やったらわかるけど「寿司」ってなんなんやろうと思いました。

そのあと、たぶんああいうところがクラブと呼ばれる、なんか薄暗いところに連れられて行きました。一軒目は完売、ということで結構歩きました。彼らはちゃらちゃらした感じではなかったことと、うち2,3人の名前が自分と似てたこと。サカーシとかヤカーシとか言ってました。クンデラ著『存在の耐えられない軽さ』の主人公、トマーシュも発音しだいでトマーシなんだろうと思います。

店の常連らしく、継ぎ手のおじさん( オシム似) との目線とか挨拶の感じから、おかしなことにはならないだろう大丈夫、とその時たしかにそう判断しましたが、それも全部ひっくるめて酔っ払い特有の「即決」でありとても危険なことです。

3日目朝ぐったり。その日、8人部屋(2段ベッド×4) には誰も来ませんでした。夕方、飲みに出かけました。隣にショートカットの男前の女の人が来た( 結構酔ってるみたい)と思ったら違ってました。「二十歳のときにチェンジした」と耳元で大声で( 言葉がわからないから気にならないですが酔っ払い満杯とても騒々しい店です) つば飛しながらそう言っていました。

その日はだらだら3杯で閉店まで。オシム氏、サーバーを締めて退出するとき、一杯を棚に取り置いてくれてる気がしました( 配膳のおじさんに、ジャポネとかなんとか言った気がした) が飲めませんでした。でもそれはただの勘違いというか自意識過剰かもしれません。

翌朝、プラハ→ベルリンに向かうFLIX バス。国境チェコ側( 係員がジェクイと言った) でパスポートチェックがあり、ドイツに入ってからも係員が乗り込んで来てパスポートを提示。後続のバスが抜けていくなか、バスが動かず今度は30分くらいかかり、車内はそわそわした雰囲気。少し遅れてベルリン到着。

用事( というかベートーヴェンを聴く為に行きました) が済んだ翌朝、ふたたびプラハ戻らなければなりません。プラハ発券、つまりプラハ空港から出発する航空券にしたからです。理由はベルリン発より諸々計算すると――嗤われるのだろうけど――若干?安いからです。出入国税の違いとかそんなことだろうと思っています。ドイツから出て行くバスに、パスポートチェックなんかありませんでした。

プラハふたたび、最寄のホステルに荷物を置いて、ぶらぶらしてから『黄金の虎』に向かいました。先週も見かけた、縮れ毛のマラドーナとスティーヴン・セガールを足し引きしたような人がいて、おおまた来たんか!おい聞けこいつこの間も来ててんで!みたいなことを店の人に言ってます。

継ぎ手のお兄さん( ごっつい木こり風) も配膳のおじさんも先週と全員違いました。( はじめてのプラハの時の人でした) チームが固定されてるのかもしれません。

その日は、となりに可愛らしい( 背丈もほどほどの) 女の子が来ました。(ちょっとケネディ大使みたいな顔をしてました)カウンター前におろしたリュックに、ヨガのシートというか巻物が見えたので、そう尋ねてなんとなく話をした記憶があります。帰り際ほっぺたを右左に合わせる、映画とかでたまに見る、あの挨拶をした記憶もありますが、結局ヨガがどうだったかは覚えていません。

のち今度はしゅっと綺麗な顔した人が立ってたような気がします。もう一杯だけと継ぎ手の木こりのお兄さんに懇願して、配膳のおじさんも一緒に頼んでくれたけどもうビールは注いで貰えませんでした。

店を出てなぜか、ホステル傍のマクドナルドに立ち寄りました。そもそもマクドナルドって入ったことがなくて、どうやって注文するかわかりません。まあそれでも何かしら注文して支払ったみたいです。ホステルには共有スペースがなかったので、バスセンターの待合室でひと齧り。

そうやんなこういう味とか触感やんなあ、これまるまる一個続くのかというのと、マクドナルドの女の子の言っていた、たぶん現地マクドナルドの決まり文句であろう、「何を選んでも120以下ですよ!」っていう謳い文句が引っかかって、なんでか鬱陶しなってきてフライドポテトも全部くずかごに突っ込みました。( 飲み物は店を出た直後、バシャッとなって既になし)

翌、昼過ぎプラハから乗継地イスタンブールまで2時間半の機内、気分が悪くてトイレ通いで水しか飲めず。( そのタイミングだって難しい) 木こり兄さんにはこうなることがわかってたのだと思います。

夕方16時前到着。成田行は翌日13時50分発。一端入国したのですが市内に出て泊まるところを探すのもしんどいし、泊まる為だけのお金も勿体ない。結局、再出国してトルコ航空ラウンジで待つことにしました。続々と搭乗に出て行く人を眺めながら、なんかほんまにあほみたいなことしてるなあと思いながら待ちました。

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