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“いとこ達”

横山横山

先日、父の弟、私の叔父さんが、病気のため亡くなりました。病気が分かった時には、かなり進行しており、姪の私はもちろん、兄である父も会えないまま逝ってしまいました。

葬儀会場の都合で、自宅で仮通夜、葬儀場で本通夜、告別式となり、とても時間が長かったのと、まだ現役で商売をしていたので、盛大な式で会葬者も多く、家族である叔母やいとこ達はさぞ疲れた事だと思いzます。

ですが、お通夜にお説法をされたお坊さんが、最近は“家族葬”という事で、葬儀がどんどん簡略化されて来ていると話されていました。私自身、4年前に亡くなった姑(享年98歳)を家族葬で送った事もあり、葬儀について、色々と考えながらお経を聞いていました。

お通夜やお葬式、初七日、四十九日、初盆、・・・と仏教の場合、人が亡くなると、次々と法事がやってきますが、これは、亡くなった人を弔うのが第一目的だけれども、その家族が忙しく法事をこなす事で、悲しみを忘れると言うか、気が紛れる、そんな為にも有るんだと聞いた事があります。

私自身、親族だけの家族葬でも、一周忌が済んでホッとした記憶があります。只、私の姑は大往生と言って良い年齢だったし、何ヶ月も意識の無い状態でしたので、今回の叔父のように、60代前半で、まだ仕事もしていた家族を亡くした叔母やいとこ達は、気が紛れるとはいかないと思いますが・・・。

仮通夜、本通夜と書きましたが、時間が長く大変だった半面、叔父の友達や私の父(82歳)やその兄弟、そしてそれぞれの子供(特に息子達)が、大勢、夜通し、叔父の傍らで、お酒を飲みながら、色んな話をして夜を明かす、そんな夜伽をしてくれた事が、叔父の人柄だと思いますが、とても良かったと思いました。

何処のご家庭でも、小さい頃はよく集まっていたいとこ達ですが、それぞれが大人になり、自分の世界が出来てくると、滅多に顔を合わせる事が無くなってしまうのが普通じゃないでしょうか?

集まるきっかけが不幸事というのは、悲しいのですが、法事は、滅多に出会わなくなった親戚が集まる貴重な場でも有るんですね。

今回、一人の叔母が、「みんな大きくなったよね〜」と言ったのですが、いとこ達の中でも最年少が、今年44歳、最年長は58歳ですから、大きく・・・では無く、すっかり、ええおっさん、おばさんになってしま
っています。

でも、叔母の印象の中には小さな甥、姪がいて、又、私達いとこの中にも、お互い小さい時の印象が有るので、久し振りに出会っても、自然と話が出来てしまうのです。

又、もっと若い頃は「あの子生意気やわ〜」とか「えらそうに〜」と思うような事が有ったと思うのですがお互いおっさん、おばさんになってくると、みんな角が取れるというか、丸くなって、話し易くなっていたので、これも驚きでした。

皆で、LINEを交換したりして、「法事以外でも又会おう。」という事になりました。みんな大好きな叔父さんでしたし、まだまだ若いので、とても残念ですが、いとこ達が集まるきっかけを作ってくれました。

叔父さんに感謝して、冥福を祈りたいと思います。(私事ですみません。)

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